釜ヶ崎と女子大生。

釜ヶ崎と女子大生。

現役女子大学院生が、大阪西成区にあるディープな街「釜ヶ崎」で見聞きしたこと、感じたことを書いてゆきます。

#10. 越冬闘争3日目~釜ヶ崎の年越し~

2017年1月1日。年越しを釜ヶ崎ですることに決めていた私は、無事に年越しの瞬間を迎えられた。翌朝、知人が住む釜ヶ崎内のマンションの一室(ドヤでは無い)で目を覚ますと、窓の外へと顔を出した。澄み渡る晴天の下、初日の出が優しく街を照らしていた。路上生活をしている方も同じく初日の出を見られたら良いのだが・・・と思わずにはいられない。私は昼頃に部屋を出て、街で食事を済ませると、早速三角公園へと向かった。

この日の三角公園で、越冬闘争最大の出会いが待っていようとは、この時知る由も無かった。

釜ヶ崎の正月

釜ヶ崎の商店街を歩いていると、まず流れている音楽に驚いた。普段は演歌が流れているのに、琴の音色が聞こえる!いかにも正月な雰囲気の、しっとりとした曲だ。誰が商店街のBGMを管理しているのだろうか、釜ヶ崎の商店街でも正月らしい音楽が流れることが嬉しく、私は正月気分を満喫した。

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街中では、焼肉屋の前で、店主と子供4人で集まってお雑煮を売っていた。『お雑煮いかがですかぁ~!!』と子どもが元気に宣伝している。子どもがはしゃぎながら店先に立ち、行き交うおっちゃんと挨拶する姿は、普段の釜ヶ崎では見られないものだ。

三角公園の周りでは、道行くおっちゃんたちが『あけましておめでとうございます。』と互いに挨拶して、朗らかな雰囲気だった。やはりお正月は誰にとってもお目出度いのか、街全体が晴れやかな空気に包まれたように感じた。

午後2時ごろに炊き出しの準備をしている学生ボランティアの所へ行き、少しお手伝いをした。手を洗い、消毒し、ビニール手袋をする。机の上には大量の玉ねぎが並んでいて、一つずつ切ってゆく。少し経つと、釜ヶ崎の街を学生たちと歩くことになった。(この時の話は、またの機会に書きたい。)散歩が終わると、私はまた三角公園の中を歩き、おっちゃんたちと話すことにした。

余談だが、なぜ私がボランティアの手伝いもそこそこに、おっちゃん達と話すことを重視している理由の一つは、彼らと話す中で『生きる』ということについて考えたいからだ。家族や社会的地位を失い、天涯孤独になっても、それでもなお生き続ける。一体その力はどこから来るのか。これはあくまで個人的な関心だが、生き続ける強さ(もしかしたら弱さかもしれない)の源泉や、人の本質的な部分を知りたいという気持ちがあるのだ。

忘れられない出会い

前日と同様に、おっちゃんたちに話しかけてゆく。木や花が好きで街路樹が切られることに心を痛ませる人、刑務所に入っていた時の話をしてくれる人・・・皆色々なドラマがあってここにいるのだということを、改めて感じる。しかし、長く腰を据えて話してくれる人を見つけるのはそう簡単では無かった。

そうして私は、三角公園の隅に佇んでいる男性に話しかけた。彼は森本さん(仮名)という、スラリと背の高い男性だ。50代くらいかな、と思ったのだが年齢を聞くと73歳だというので驚いた。

壮絶な人生

森本さんは北海道・札幌の繁華街で生まれ、ビルのオーナーだった両親のもとで何不自由なく育った。非常に裕福なだけでなく、彼自身も長身のイケメンゆえにモテたらしく、順風満帆の人生だった。しかし、彼には決定的に難しい癖があったのだ。ギャンブル依存症である。私立大学に入ったものの、学費は全てギャンブルに回して中退。しばらくはバスの運転手として働くも、競馬や競艇などにつぎ込み、借金は何千万にものぼった。かつては奥さんも子どももいたが、離婚したそうだ。実家からは勘当され、手切れ金として渡された500万円も、たった20日でギャンブルで全て失った。そうして追われるように釜ヶ崎にきて、何年も日雇い労働者が作業現場まで行く送迎バスの運転手をしていたが、ほどなくして定年。現在は年金を貰って生活している。

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森本さんはお話ししている間に何度も何度も『本当は俺は、こんな所にいるような人間じゃ無いんだ。』と言っていた。元々裕福な家庭で育ったなら、そう思うのも無理は無いと思う。育ちの良さゆえ標準語を話すこと、高価な時計をしていたこと、色白で肌が綺麗だと褒められていたこと・・・そんな彼の自信を持っていたことを一つ一つ教えてもらった。

そうして話を聞いているうちに、炊き出しの時間になった。彼と一緒に炊き出しの列に並び、一緒に食べることにした。(炊き出しは、100円払えば関係者も食べることができる。)二人でビーフシチュー丼と箸を受け取り、三角公園の隅にあるベンチに並んで食べた。おっちゃんと一緒に食べる、初めてのご飯だった。どこから貰ってきたのだろうか、森本さんはレストランにある紙ナプキンを取り出し、私に使うよう勧めてくれた。

食べ終わると、『でもな、さっき俺が言ってたことは全て本当のことなんだ。嘘なんかついてない。家に戻ったら通帳も写真も免許証もあるから、取ってきて見せてやる。家の前までついておいで。』と言われ、少し迷ったが一緒に行くことにした。

初めてのドヤ

三角公園からほど近い場所に、彼の住むマンションがあった。マンションといっても、実際はドヤのことで、一部屋は3畳しかないそうだ。森本さんは『寒いから、フロントの前で待っててね。』と言って、エレベーターに乗って上がっていった。ドヤに足を踏み入れたのは初めてのことでキョロキョロしていたら、近くにいた高齢のおっちゃんからここは女は出入り禁止だ!!出ていけバカヤロー!!!と怒鳴られた。

半泣きになりながら慌ててマンションを出ると、寒空の中で森本さんの帰りを待った。『なんで元旦から、見ず知らずの人に怒鳴られてるんだろう・・・。』と凹みつつ立っていると、しばらくして森本さんが出てきた。

森本さんにマンション前にある自販機に呼ばれると、『コーヒー買ってあげるわ。』と言われた。いやいや、限られた年金で生活している方に奢ってもらうわけにはいかない!と思い、「気持ちは嬉しいですけど、受け取れないですよ。」と伝えた。それでもご馳走したそうだったので、頑なに拒否するのも失礼かと思ってミルクティーを買ってもらった。そうして森本さんは自分の分のコーヒーを買うと、おもむろにバッグから写真を取り出した。

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自動販売機の灯りに照らしながら、『これが俺、これが元奥さん、これが息子、これが死んだ父さん。・・・この時は一番幸せな時だったなぁ。』と、一枚一枚説明してくれた。もう40年も前になる写真を、ずっとずっと大切に持ち続けていたのだ。そんな彼の宝物を見せてくれたことが、本当に嬉しかった。写真を見終わると、私たちは二人で飲み物を手にして三角公園に戻ることにした。

再び、三角公園

炊き出しが終わった公園は閑散としていて、数十人しかいなかった。ステージでは、女性が一人で歌っている。綺麗な声で歌っているのは、童謡や名曲ばかりだ。

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私たちはステージを遠くに見ながらベンチに座り、しばらく無言で飲み物を飲んだ。幸せな時間だ。

飲み物を飲むと、おっちゃんはバッグから写真と通帳を取り出した。通帳を見せてもらうと、確かに500万円振り込まれた後、20日で残額441円になっていた。しかも、最後に引き出した額は、250万円以上だ。全財産250万を一度に博打に使う時の気持ちは、想像を絶する。唖然としている私を見て『な、本当だろ?嘘ついて無かっただろう?』と、森本さんは笑っていた。

大切な友

森本さんには、ここ釜ヶ崎にいる友人の話をしてくれた。

ここにも何人か友達がいたんだけどな、良い人は皆死んじまった。ずいぶん年もとったし、酒の飲みすぎで胃がんになったのかなぁ。具合が悪くなって病院へ行くとな、医者から余命宣告されるわけだ。そうして俺が見舞いに行くとな、皆ボロッボロ泣くんだよ。身寄りが無いから、見舞いに来てくれる人がいないんだろう。あんまり皆泣くからさ、俺は見舞いに行くのが嫌になっちゃったよ。でもな、今は一人だけ信じられる奴がいるんだ。

森本さんの唯一の友人は、良治さん(仮名)といい、50代半ばの男性らしい。

良治はな、良い奴だぞ。あんなに良い奴は、釜ヶ崎で他にいないよ。俺が本当にお金に困ったときは、一万円をこそっとポケットに入れてくれた。それもすぐ使っちまったけどな。でも、「森本さんお金貯めないとダメですよ」って言われたから、今度良治に通帳とクレジットカードを預けることにしたんだ。暗証番号は教えないけどな。お金が必要になったら、一緒にお金をおろしに行くんだ。わざわざ一々お金おろすのに付き合ってくれるやつなんて普通いるか?釜ヶ崎で、通帳とクレジットカード預けられる奴なんて、他にいないぞ。』と言っていた。本当に森本さんは、良治さんのことが好きで、信用しているようだった。

「良治さんって、どんな方なんですか?生い立ちとか、経歴を教えてくれませんか。」と聞くと、森本さんは言うのを躊躇っていた。でも重い口を開いて、教えてくれた。

『・・・良治はな、シャブ中だったんだ。覚せい剤をずっと使ってて、8回も刑務所に入ってた。でも、良治は変わったんだ!もうあいつは覚せい剤なんて絶対にしない。それは凄いことだと思うよ。良治は生活保護を貰っているが、それをちゃんと貯めているのも偉い。貯めてるから炊き出しにだって来ないんだ。だから俺よりずっと年下だけど、俺はあいつを尊敬してる。変われた良治を尊敬してるんだ。人間っていうのは凄いぞ。人は変わるんだぞ。

そう熱っぽく語る森本さんの言葉に、涙がとめどなく溢れてきた。本当に良治さんが覚せい剤を使わなくなったのかは分からないが、それでも良治さんが、森本さんという一人の人間の支えになっていることに胸を打たれた。元覚せい剤中毒者でも、こんなにも誰かの心の拠り所になれるのか。人を信じるって凄いな、尊いな・・・と思った。森本さんと良治さんから、私が関心を抱いていた『生きる』ということの一端を、教えてもらったような気がした。私は勇気を出して打ち明けてくれたことに御礼も言えず、ただただ泣いてはマフラーで涙を拭っていた。

森本さんの夢

ひとしきり泣いた後、ふと私は今日が元旦だったことを思い出して、森本さんにこれからのことを聞いてみようと思った。「今年、何かしたいことや目標はありますか?」と尋ねると、『うーん、今年6月に何年ぶりかに息子に会うのが楽しみかなぁ。もしかしたら、こんな俺を見てがっかりするかもしれない。父さんも堕ちたなって。でも背広も革靴もあるし、ちゃんとした格好で会いたいなぁ・・・やっぱりカッコつけたいんだな。』と、照れつつも嬉しそうに言うのだった。『あと、実は海外旅行もしたいんだよな。ハワイとかグアムとか。ちゃんとお金を貯めて、旅行したいんだ。』とこっそり夢を教えてくれた。嬉しそうに語る森本さんの目は輝いていた。

別れの時

ステージの出し物が終わるころ、私も京都に帰らなければいけない時間が近づいた。森本さんは名残惜しそうに『今日は楽しい日だったなぁ。今度良治も一緒に遊びに行こう。また必ず会おうな。』と言ってくれた。二人で交差点まで歩いてゆくと、どちらからともなく握手をした。私が最初に釜ヶ崎に行った去年の3月も、同じようにおっちゃんと握手をしたことが蘇ってきた。優しく温かい手だ。「あぁ、元旦にこの人に会えて本当に良かった。」と感謝の気持ちが湧きあがってきた。私も、今年一年頑張ろう、素直にそう思わせてくれる出会いだった。