釜ヶ崎と女子大生。

釜ヶ崎と女子大生。

現役女子大学院生が、大阪西成区にあるディープな街「釜ヶ崎」で見聞きしたこと、感じたことを書いてゆきます。

#17. 釜ヶ崎と介護バブル 

久しぶりの更新です。こんなに時間があいたのに読み続けてくれる皆さん、本当にありがとうございます。以前から釜ヶ崎に関して、これだけは書いておきたい!というテーマがあるので、今回はそれについて取り上げます。

釜ヶ崎と介護

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(筆者撮影。釜ヶ崎の交差点にて)

今の釜ヶ崎に関して避けて通れないテーマ、それは釜ヶ崎の介護福祉について。

釜ヶ崎に入ってしばらくしてから耳にしたのが、『今は、介護バブルやからなぁ。』という知人の発言だった。介護バブル??と最初は思っていたが、実際に釜ヶ崎を歩いていて目立つのは、介護事業所の圧倒的な多さ。そして、車椅子で移動する男性と、その車椅子を押して歩く人たちの姿だ。釜ヶ崎は高齢の独身男性の街なので、介護事業が盛んなのも納得だ。

そして上記の知人は、続けてこう言っていた。釜ヶ崎の介護バブルは、30年後の日本の姿を先取りしてるんやで。』

確かに、たまたま今は釜ヶ崎の高齢者の割合が多いだけで、これは未来の日本の各地に起こりうる状況なのだ。コンビニよりも圧倒的に多い介護事業所の数々は、今は異様なものとして目に映るが、いつかこれが日本の普通の光景になるのだろう。この街が少し特殊な環境とはいえ、未来の日本を表していると思うと、俄然知りたくなった。

釜ヶ崎の介護事情

 さて、釜ヶ崎の介護福祉事業者が多いとはいうものの、実際どのくらいあるのだろうか。調べてみたが、あいりん地区(≒釜ヶ崎)内の介護事業者数は分からなかった。だが、2017年12月時点の西成区の介護事業者数以下の通りだ。

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 ※出典:大阪府 大阪市西成区|地域医療情報システム(日本医師会)

実に、介護施設数は全国平均の2.13倍。

釜ヶ崎西成区は異なるので、(詳しくはこちら→

#2 西成・釜ヶ崎・あいりん地区、何が違うのか? - 釜ヶ崎と女子大生。

これが釜ヶ崎の現状だと断定はできない。釜ヶ崎に居住している高齢者でも、釜ヶ崎以外の西成区の地域まで介護サービスを受けに行っている可能性もある。だが、西成区全体の介護事業者数を引き上げている理由の一端は、釜ヶ崎における圧倒的な高齢者率の高さだろう。

つまり、釜ヶ崎だけで見れば、介護施設数は平均の2倍どころではなく、実際は3倍以上だと考えられる。

それでは、釜ヶ崎介護施設で働いている人はどんな風に感じているのだろうか。どんな景色が見えているのだろうか。この記事を書くにあたり、どうしても会って話を聞いてみたい。そんな気持ちから、今回は知人にお願いして、釜ヶ崎介護施設で実際に働いている女性を紹介してもらった。

釜ヶ崎介護福祉士へインタビュー

知人の紹介でお会いしたのは、釜ヶ崎介護福祉士として働くトモコさん(仮)だ。この記事は6月に書いているが、実際お会いしたのは昨年12月のことだ。(遅くなってごめんなさい・・・。)冬の寒さが厳しい夜に、太子の交差点で待ち合わせをした。

『おー!初めましてー!!』と言って交差点に現れたのは、自転車に乗った活発そうな女性。30代前半らしいが、見た目は20代に見えるくらいで、はつらつと明るい雰囲気の人だ。

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二人で夕ご飯を食べることにしていたので、近くにあった大手チェーンの中華料理屋に入った。食事が出てくるのを待ちながら、彼女の話を聞きはじめた。

なぜ、釜ヶ崎で介護の仕事を始めたのか

そもそも、どうして彼女はここで働いているのだろうか。

 実は、彼女は元々は、看護師として病院で働いていたらしい。また、彼女は釜ヶ崎の出身で、父親が『これからの釜ヶ崎は、介護の時代だ!』と言い出したことがきっかけで家族会議を開き、家族総出で介護事業所を立ち上げたそうだ。経験者はおらず、親も兄妹も彼女自身も、一から介護福祉の勉強を始めたらしい。今は家族で、訪問介護の事業を行っている。

看護師を辞めて、家族で介護事業所を始めるという決断をしたことは凄いし、正直びっくりした。驚く私に対して、彼女は『だって、釜ヶ崎で生まれて、この街が好きだもん。友達も多いから、他の場所に行きたいと思わないし、ここで家族と働くことに決めたの。』と、笑って言った。

釜ヶ崎の介護のリアル

はつらつと元気があって笑顔の絶えないトモコさんは、やはり利用者のおっちゃん達から絶大な人気を誇るようだ。

私:トモコさん人気ありそうですよね~。

トモコさん:いや、自分で言うのもアレやけど、めっちゃ人気あるで(笑) 

私:そりゃそうですよね・・・すごく納得です(笑) 介護施設の利用者さんって、どんな方が多いんですか?

トモコさん:ん~・・昔から釜ヶ崎にいて、日雇いやってたようないわゆる”おっちゃん”って人はほとんどいないよ。利用者さんの多くは、生活保護が欲しくて他の場所から釜ヶ崎にやってきた人たちやなぁ。

私:そうなんですか・・・そんなに生活保護の利用者さんが多いんですね。

トモコさん:いや、めっちゃ多いで。むしろ、介護施設としては、生活保護の人を入れた方が儲かるねん。生活保護の人を受け入れると、自治体から一人あたり月40万くらい費用が支給されるから。でも、年金受給者だと、個人の3割負担だから事務所の利益は少なくなるわけ。

私:え、じゃあ生活保護の人を受け入れようってなりますね。

トモコさん:そうそう。だから釜ヶ崎では元々ちゃんと働いてて、今は年金生活している人がもちろんいるけど、生活保護の人に比べると損してて、可哀想やで。
生活保護のおっちゃんたちはな、表立って言わないけど、生活保護費のこと「給料」って呼んでるねん。だから生活保護費が振り込まれる日を「給料日」って言うしな。でも、生活保護費は家賃以外はすぐにパチンコとか競馬とかに消えてしまうから、すぐにまたおっちゃんたちスッカラカンになるねん。だから、うちの事業所はやってないけど、他の介護事業所さんでは『2万円現金ですぐにお渡しするので、うちの利用者になりませんか?』って呼び込みしてる所多いで。

私:えぇ!!まぁ2万渡して、毎月40万自治体から貰えるなら安いですよね・・・。その2万で生きていけるか分かりませんが。

トモコさん:そうねん。でも、その目先の2万円に応じる人が多いねん。もちろんその2万もすぐに使い切ってしまうけれど、その人たちは翌月まで日常に必要なお金をどうやって得ているのかは私も分からん。

釜ヶ崎に住むための最低限の義務

私:でも、おっちゃんたち、家賃だけはちゃんと払うんですね(笑)

トモコさん:そう、「家賃を払う」ってことが、釜ヶ崎に住み続ける本当の最低義務やねん。追い出されたら生活保護も止まるしな。うちらも利用者さんがちゃんと大家さんに家賃払ってるか確認してるで。

私:なるほど。訪問介護だと、大家さんにも顔覚えてもらわなきゃですしね。

トモコさん:そうねん。大家さんめっちゃ大事やで。大きい介護事務所だと、大家さんが「最近冷蔵庫が壊れたねん」とか言ってたら、冷蔵庫プレゼントしたりする。

私:本当ですか!なんでですか?

トモコさん:大家さんと仲良くしてたら、そこに入ってきた生活保護の人を紹介してもらえるから。だから大家さんによくしてる事務所は沢山あるで。でもな、ここらへんの最大手の介護事務所とかになるとな、ビル一棟買ってるねん。だから、生活保護の人を居住者として入れて、家賃収入+介護費のW収入してる。

私:そういうビジネスモデルなんですね・・・・介護事務所がそんな稼ぎ方してるって知りませんでした。

演技するおっちゃん

トモコさん:いや、本当に皆いろいろ考えてるで。それは介護施設だけじゃなくて、おっちゃんたちもな。要介護になるべく演技してたりするしな(笑)

私:どういうことですか?

トモコさん:そもそも、介護施設に入るには、要介護か要支援かに認定されなきゃいけないけど、要支援よりは要介護の方がケアする負担が重いから、要介護者の方が自治体からの支給金額は高めに設定されてる。だから、介護施設としては要介護の人を入れた方が儲かるねん。で、おっちゃんとしても、要介護の方が受けれるサービスは多くなる。
さらにな、ケアマネさん*としても、要支援より要介護の方が良いねん。要支援だと、ケアプランっていう計画書を作る時にも地域包括支援センターへの報告が必要だけど、要介護なら業者との直接のやり取りだけで済むから楽ねん。

だから、おっちゃんたちは要支援レベルの人で、普段動けてる人も、ケアマネさんがチェックに来たら「手すりに捕まらないと起き上がれないんですわ~」とか言って、起き上がれない演技をする。要介護に認定されるためにな。でも、そうやっておっちゃんが演技して要介護に認定された方が、おっちゃんにとっても、介護施設にとっても、ケアマネさんにとっても都合が良い。

私:なるほど・・・凄いですね・・・。

*ケアマネ・・・ケアマネージャー(介護支援専門員)の略。介護施設医療機関との調整などを行う専門職のこと。

インタビューを終えて

 

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 トモコさんは『生活保護も、介護も、年金も、もっと良くしていかなきゃいけない制度は沢山あるよ。でも、私はこの町が好きだから、これからもここで仕事してゆくし、頑張るよ。お互い頑張ろうね。』と言って、夜の釜ヶ崎の街に消えていった。

トモコさんからの話を一通り聞き終えて、自分の想像以上に介護ビジネスが栄えていること、それを取り巻く人々の思惑が渦巻いていることに衝撃を受けた。

また、生活保護費をもらう日をおっちゃんたちが「給料日」と呼んでいることにもショックを受けたが、他方で、これまで私が釜ヶ崎で出会ったおっちゃんの中には、生活保護費でギャンブルをすることもなく、しっかり貯金して生活してゆこうとする人がいたのも事実だ。私が見聞きしただけでは到底把握できない程、本当に色々な人がこの街に暮らしている。

トモコさんの去ってゆく姿を見送って、私も帰路についた。歩きながら、いつも見慣れている釜ヶ崎の街のビルの一つ一つの窓を眺めてゆく。その窓の明かりの下には、一体どれだけの人がいるのだろうか。明かりが灯る部屋の一つ一つに、誰かが住んでいて、それぞれ別の人生を歩んでいる・・・そんな風に電灯の光に想いを馳せながら、その日は釜ヶ崎を後にした。