釜ヶ崎と女子大生。

釜ヶ崎と女子大生。

現役女子大学院生が、大阪西成区にあるディープな街「釜ヶ崎」で見聞きしたこと、感じたことを書いてゆきます。

#16. 釜ヶ崎を撮り続ける写真家

またしても更新までに半年経ってしまいました。このブログはあと1テーマだけ書いたら更新しないでおこうと考えていたのですが、実は先日読者の方から興味深いお知らせがあり「これは書かずにはいられない・・・!」となったので、今回急遽筆を取りました。

事の発端は、あるコメントだった

久しぶりにブログの管理画面を開くと、一件のコメントが届いていた。

こんにちは、僕は関西の写真愛好家です。下町を撮り歩くのが好きで、釜ヶ先の情報を調べていたところ、あなたのブログに辿り着きました。 「壁一面の写真を撮っている男性」は今年、酒田市土門拳文化賞を受賞されました。「とても一言では表すことのできない想いが彼にはあるようで、詳しくは聞けなかった」とのことでしたが、ニュース記事がどこかに掲載されていると思うので、一読されてはいかがでしょうか。 3月頃の各写真雑誌には受賞のニュースが掲載されていましたが、今読めるものであれば、大阪駅前のニコンサロンに置いてある「nikkor club」誌にインタビューが載っていましたので、おすすめです。 釜ヶ先に興味があるのであれば、是非知っていただきたいと思い、コメントいたしました。 (あなたに伝わればいいなと思ったので、このコメントは非公開で大丈夫です。また、返信不要です)

そ、そうなのか・・・!!!!

と、コメントを読んで衝撃を受けた。

この時点で、一体どういうこと?何の話???という方が多いと思う。それも当然だ。前提として、上記のコメントをくれた方は以下の記事を読んでくれたのだ。

kamakyou.hatenablog.com

私は以前釜ヶ崎の年末年始に行われる越冬闘争に参加し、そこで見聞きしたことをブログに書いていた。そこで出会ったものの一つが、三角公園にある写真館

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これは、6年ほど前から越冬闘争の時だけ三角公園にできる写真館だ。ベニヤ板の外壁には、「思い出写真無料」「証明写真無料」と書かれている。しかし、実際のところは証明写真の意味もあるが、それ以上に遺影として撮られているらしい。この写真館の内部にはおっちゃんたちを撮った写真が飾られているが、凄まじく良い写真ばかりなので衝撃を受けた。

この写真を撮り続けている男性と話した時のことを、私は以下のように書き記していた。

*翌日、壁一面の写真を撮っている男性とお話しした。壁の写真を撮ってブログに載せて良いかとたずねると、色々な事情でネット上に写真が出ない方が良い方もいるということだったので、ここには写真は出さない。あまりに素晴らしい写真の数々だったので、個展をしないのかときくと、同様の理由で釜ヶ崎の写真展はしないそうだ。なぜ写真を撮るのか?という質問に対しては、とても一言では表すことのできない想いが彼にはあるようで、詳しくは聞けなかった。

そう、被写体も、彼自身のことも公開にすることはできなかったのだ。この素晴らしい写真が日本中に広まればいいのに・・・・と思っていたのだが、そこで届いたのが最初のコメントだ。

「壁一面の写真を撮っている男性」は今年、酒田市土門拳文化賞を受賞されました。

・・・・・・!!!!

・・・・!!!!

って、写真公開してるんかい!!!

でも目出度い!おめでとうございます!!!!

まず、本人は公開しないと言ってたのに、実は公の場で発表されていたことに衝撃を受けた。確かに、様々な事情で写真を公開できない人はいるだろうし、きっと文化賞に応募した作品の被写体は公開されることを承諾した人たちなのだろう。そもそも、こんな小娘にネットで流されるなんて嫌に決まってるし、ご本人が厳選した写真を作品として応募するのは全然別物だ。「そっかー、応募してたんだ!!」とワクワクしてテンションがひたすら上がった私は、急いで「酒田市土門拳文化賞」で検索してみた。

酒田市土門拳文化賞

酒田市土門拳文化賞を検索してみると、

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あった!!この写真たちに間違いない!!!

【「俺は負けない!」終の住処で・・・】と題された石津 武史さんの作品。

今年の土門拳文化賞の公募ポスターにもしっかりと載っている。

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釜ヶ崎のおっちゃんたちが、本当に良い味を出している。どうしてこんなに素晴らしい被写体になれるのだろうか。一本一本の皺や、表情、陰影が際立って、最早写真ではなく一つの絵画のようだ。越冬闘争で写真館に入り、おっちゃんたちの写真たちに圧倒され、強く感動したことが、つい昨日のように鮮明に蘇ってきた。私はまたこうした石津さんの写真と出会えて本当に嬉しい。

選考委員のコメント

土門拳文化賞のサイトには、選評委員からのコメントが記載されている。

 石津さんは大阪・釜ヶ崎周辺のドヤ街の中で生きる人々の人間模様を写して第17回、奨励賞を受賞している。釜ヶ崎を終の棲家として生きる人々を奈良に住みながら十年間に渡って写し続けている。今回は釜ヶ崎三角公園に設置した写真小屋での肖像写真である。

上半身を写した男性像はどの写真も表情豊かで、撮られることを楽しんでいる。同一ポーズの写真がない。撮り手と被写体が一心同体となっている。釜ヶ崎の人々と心を許し合っている証拠であろう。

 写真からは、この地に生きる人々の過去の負の部分や悲壮感は微塵もなく、悲壮美を見事に表現している。虚勢を張ったポーズからは、かえって痛々しさが垣間見れる。組写真ならではの不思議な写真群である。

 背表紙の前で写したモノクロ写真、ローキートーンの陰影のある仕上げは作品をより力強いものにしている。(藤森武選考委員講評)

流石プロと言うべきか、この写真の魅力を的確に表現してくれている。この写真の魅力を理解して受賞作品に選んだ選考委員も素敵だし、そもそも応募した石津さんにお礼を言いたい。おっちゃんたちの素晴らしい写真と越冬闘争で出会わせてくれて、さらに再会させてくれてありがとうございます。石津さんの写真が社会的にも高く評価されて、本当に良かったです。

石津さんについて

石津さんが土門拳文化賞を受賞したことを知らせてくれたコメントには、いくつかニュース記事があると書かれていた。実際に検索してみると、毎日新聞に取材されていたようだ。

mainichi.jp

さらに、写真集はないかと検索すると、どうやら自費出版しているようだ。どうにか手に入れられないものか・・・。

写真集 上梓のご案内

domonbunkatomonokai.wordpress.com

最後に

越冬闘争で出会った写真家が、土門拳文化賞の最高賞に輝いていて本当に驚きつつも嬉しかった。このことを知らせてくれた読者さん、本当にありがとうございます。

(あなたに伝わればいいなと思ったので、このコメントは非公開で大丈夫です。また、返信不要です)

なんて粋なことを書かれていましたが、知らせてくれたご厚意が嬉しかったですし、なによりこのことを広く世間に知って欲しくて記事にしてしまいました。コメント頂いてから時間が空いたので、これを読んでくださっているといいのですが・・・。(もし読まれたらコメントください!安心するので笑)

石津さんの写真は本当に素晴らしいので、展覧会や写真集で出会う機会が今後増えることを期待してやみません。何より、今後の石津さんの写真活動がより一層充実することを祈っています。

以上、釜ヶ崎を撮り続ける写真家の話でした。

次の更新もお楽しみに。

#15. ブログが新聞に掲載されました(ご報告)

2018年が始まってから、早くも一ヶ月が経とうとしている。

凄く久しぶりの更新になりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

昨年の正月には、越冬闘争に連日参加していたのを思い出すと、一年がとても早く感じられる。今年は新潟に帰省し、うず高く積もった雪に覆われた実家で、ひっそりとこの記事を書いている。

まずは、お礼から

すでにご存知の方もいるかもしれないが、昨年6月にこのブログが産経新聞社の記者の目に留まり、私が発信していることを記事にして頂いた。

www.sankei.com

新聞記事を読んで、ブログにたどり着いた人もいるのでは無いだろうか。沢山の人に支えられたブログが、こうして一つの形にしてもらえたのはとても嬉しい。

記事が掲載されてすぐにブログで報告するのは、なんだか浮かれているようで恥ずかしく、ためらっているうちに半年も経ってしまった。今回は報告がてら、少し取材の時のことを振り返りたい。

S記者との初めての顔合わせ

今回の取材を受けたのは、初夏の頃だった。西成区周辺の地域を担当するS記者から、取材したいと直接コメントを頂いたことがきっかけだ。取材に応じるか否かは正直迷ったが、それは担当する記者さん次第だと思ってまずは一度会ってみることにした。

最初の顔合わせの日に現れたのは、熊っぽい大柄な男性記者だった。どんな人なのだろうかと緊張していたが、S記者は決して愛想の良い方では無いものの、その分正直に話をしてくれる方なのだと分かり、安心したのを良く覚えている。それに、私よりは年上だが同世代である分、話も通じそうだなと思い、取材して頂くことにした。

取材を始めるにあたり、まずはどこまで私自身の素性を新聞に出すのか?という確認から始まった。S記者からは、私の実名や顔写真、所属や年齢などできる限り詳細な情報を載せたいと言われたが、それは全てお断りした。ブログを私個人の売名に利用するつもりは無いし、むしろこだわりの一つが匿名性を高くしておくことだったからだ。

さらに、私は新聞記事に載せるにあたり、上司に最終チェックを受けて印刷に出る前に、可能な範囲でどのような内容になるか教えて欲しいとお願いした。メディアにどう出るのか分からない不安ゆえのお願いだが、S記者は少し考えた後、それも約束してくれた。『分かりました。上司の修正が最後に入ったら、それは訂正できません。それでも良ければ。』とのことだった。私としては、S記者が誠実に書いてくれたら、それで十分だ。たまに「メディアにインタビューされたけれど、一部を抜き出して違う趣旨で書かれた!!」という声を耳にするが、こうして交渉して事前確認していたら、そういうトラブルも減るのではないかと思う私は、まだまだ甘いのだろうか。

この日、取材の合意をしてインタビューを少し受けた後、後日釜ヶ崎で記事に載せる写真を撮影することを約束した。

いざ、釜ヶ崎での取材へ

取材当日、晴れ渡った夏色の空の下、S記者がのっそりと釜ヶ崎に現れた。もうすっかり暑いというのに、なぜかS記者は全身スーツに身を包んでいる。『まぁ、一応スーツは着た方が良いかと思って・・・。』と言って玉のような汗を流すS記者と並んで釜ヶ崎を歩くのは、なんだか新鮮な気持ちになった。

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写真:釜ヶ崎を歩くS記者

しばらく一緒に歩き、記事に使う写真を撮る場所を探したのだが、おっちゃんと私が話している画が欲しいと言われたので、話しかけやすそうなおっちゃんに話しかけることにした。ふらふら歩いていると、四角公園の近くの建物前に居座り、道行く人に話しかけているおっちゃんを発見した。まさに渡りに船とはこのこと。このオープンさの塊のおっちゃんに話しかけたところ、一瞬で撮影・掲載許可をくれた。ありがとう、助かるよおっちゃん。

しかし、おっちゃんの隣に座ると、開口一番に

おっちゃん:『お姉ちゃん知ってるか?グローバルっていうのはなぁ、釜ヶ崎の言葉なんやでぇ!!!

私:「そうなんですか~。(いえ、グローバルは英語です(;´・ω・))」

どうしたらグローバルが釜ヶ崎の言葉になるのか。果たしておっちゃんに外国語という概念はあるのだろうか・・・・。ツッコミどころ満載な発言の数々に、なんとか相づちを打ちつつ、私は「S記者、早く写真撮ってくれ・・・」と心の中で呟いていた。そんな場面もありつつ、この日の撮影とインタビューは無事に終了した。

S記者からは、『越冬闘争からは時間が過ぎているのでタイムリーな記事では無いし、個人情報を明かしていないので匿名性が高い分、記事として大きく出せるかどうかは難しいが、それは記者である自分の力量の問題なので。上司も納得してくれるような記事が書けるよう、できるだけのことはやってみます。また連絡しますね。』と伝えられた。私はS記者が書いてくれる記事にワクワクしつつ、不思議な気持ちで京阪電車に揺られて京都へと戻った。

記事が掲載された後は・・・

初夏の取材が終わってから、しばらくしてからS記者からの連絡があり、実際に新聞に載る日が伝えられた。(それと同時に、産経新聞のネット版にも掲載されることになった。)そして、掲載内容確認のやり取りを行い、数日後の掲載日を待つばかりとなった。

どうなるのかなぁ~と見守っていると、ネット版が出るや否や、googleニュースやyahooニュースにも転載され、あっという間にブログ閲覧数が上がった。(なお、記事にはブログのリンクは貼っていないので、わざわざ皆さん検索してくれたのだろう。)あまり閲覧数にはこだわっていないので、ピーク時の具体的なpv数は忘れてしまった。それから1~2週間くらいは閲覧数が高いままだったが、こうして何か月も放置しているといつの間にか閲覧数は元の状態に戻っていった。

こうして釜ヶ崎のことを書いているブログだからこそ、多少の炎上の可能性は覚悟していた。しかし、炎上は全く無く、むしろ応援してくれる人のコメントが定期的に寄せられるようになった。これは釜ヶ崎という地域がもうあまり注目されなくなってきたからなのか、それとも私の記事がつまらなかったからなのか、はたまた、「釜ヶ崎のことを誠実に書く」という私のブログのモットーゆえ、炎上する要素が無かったのか。その理由は分からない。

余談だが、今回の出来事で一番リアクションがあったのは家族だった。実は釜ヶ崎での活動は親には秘密にしていた(越冬闘争で正月に帰らなかったのも、忙しくて・・・と誤魔化していた)が、折角の機会なので両親に釜ヶ崎に通い、ブログを書いていることを打ち明けた。新潟県民なので最初は「釜ヶ崎??」とピンときていなかったが、すぐにブログの記事を全部読んだそうだ。大学の研究とは全く関係無いことに時間とお金を費やしていることに怒られるかな・・・とヒヤヒヤしていたが、案外怒られず、むしろ「文章表現力があるね」と少し褒めてもらえた。元来あまり褒める方では無いし、安定志向な親だが、こういう活動を受け入れてくれる側面があるんだな・・・と、不思議な気持ちになった。

最初は迷った取材のオファーだったが、結論としては、受けて本当に良かった。今回新聞に掲載されることで、既存の大手メディアの力をひしひしと感じることができた。やはりメディアの影響力や拡散スピードは凄いし、同時に怖くもある。また、人の関心というのも一瞬で過ぎ去ることもよく分かった。私たちは、本当に凄い時代の中を過ごしている。だからこそ、今この記事を読んでくれたリピーター読者の人には、心から感謝したい。関心を持ち続けてくださって、ありがとうございます。

最後に、半年以上の時間が経ってしまったが、このブログの記事をもって改めてS記者に御礼を言いたい。取材中は、年下の私に対して丁寧に話を聞いてくれたし、実はちょっと人生相談にも乗ってもらった。さらに、事前の約束通りに、記事の内容も印刷する前に、可能な限り伝えて貰った。約束をきちんと守ってくれる人で、本当に良かったと思う。数あるブログの中から「釜ヶ崎と女子大生」を見つけて、誠心誠意が伝わる記事を書いていただき、ありがとうございました。

これまでの半年と、これから

上記産経新聞の記事が出ることが決まってから、半年にわたってブログは更新せずにいた。それには3つの理由があって、①お世話になった薬味堂さんの記事(#14. 私が通い続けているカレー屋さんの話 - 釜ヶ崎と女子大生。)を、しばらくトップ記事にしておきたかったから、②私の次の居場所を探すのに時間がかかったから、③書くテーマに悩んでいたから、という理由だ。

 ①の薬味堂さんについてだが、なんとこの数ヶ月の間に、私のブログを見て来店してくださった方が何人かいるそうなのだ!読者さん、ありがとうございます!!!ちょっとでも宣伝に貢献できたみたいで、私はとても嬉しい。

②私の今後については、後日書こうと思います。

③ブログを書くにあたり、どうでも良いことは書かないようにしている。人に広く知ってほしい、その価値があると思うことだけを書いているつもりだ。その分、もちろんテーマにも悩む。

そんな私が、最後に、これだけは書いておきたいことが残っている。それは、釜ヶ崎の介護福祉についてだ。

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 写真:釜ヶ崎にて、車椅子を押す女性

今の釜ヶ崎を語る上で、これだけは避けては通れない。

次回の更新も、お楽しみに。